漢方薬局からビタミン薬局へ

5-5)、インフルエンザ、ウイルスに対してはビタミンCメガドース

あくまでも私見に過ぎませんが、漢方医の先生方というのは、それぞれの流派派閥に於いて、それぞれが他とは異なる非科学的な自信に満ち溢れている方たちの少なくないように思えます。

漢方薬の原料は野生から採取する動植物と天然ミネラル以外は農産物のような人為的な生産物です。
たとえば野菜は同じ品種であっても、栽培地や栽培方法により成分の個体差が非常に大きいものであり、それが味や栄養量の差となっているわけですが、ある患者に処方した漢方薬が効かなかった場合、それは処方が間違っていたのか、あるいは薬自体のスペックに問題があったのか、どうやって見分けるのでしょうか。

私は漢方医も漢方薬も否定するものではありません。
特に漢方薬の場合、成分的な効果として有効率の立証されているものはツールとして有用だからです。
そういうものは分かり易いのですが、よく漢方医どうしがネットのコメント欄などで他の漢方医の診断を批判するのを目にするのですが、その、他医を批判している先生はつまり、自分はそうではない、と言っているわけです。
自分の診断は常に微に入り細に入り正しい、と思っているからこそ、他医の勉強不足を嘆き哀しみ批判するわけです。

で、仮にその先生の言っていることが正しいとするのならば、そんなに難しい正しい漢方診断の出来る医師は、たとえばこの日本には滅多に居ないことになります。
私は、その先生の学識と実力を疑うわけではありませんが、医療とは国家の国益に関わる重要な社会的インフラであり、「個人技の自慢大会」ではないのです。
そういう意味では、その先生の実力が本物かそうでないとか、もはや半分はどうでもいいことなのです。

私が為政者ならば、そんなめんどくさい方法論としての医療インフラは採用しません。
そんなやり方では多くの末端までの国民に福益を与えることはできないからです。
もちろん現代医学においても顕微鏡下手術のような、数的に一部の患者にしか施せない分野もありますが、もともと漢方薬の主流は内科疾患です。
つまり町医者が簡便に使える確実な方法論でなければ国益に貢献できないわけです。

結論です。
私が為政者ならば、町医者には科学的に検証容易なビタミン類を使わせます。
と同時に、国の研究機関で、徹底的にビタミンの有効性を大規模前向きコホート試験にて研究させます。
が、現実には、私は為政者にはなれませんので、そんな日本には残念ながら、少なくとも私が生きている間は、100%ならないでしょう(笑)。
であるのならば、私たち平民の選択肢としては、効果の科学的に不確かで、正しい診断のめんどくさい難しい漢方薬を選択するよりは、離島のドラッグストアでも一定品質の製品が簡単に手に入る、且つ国保に頼らずとも自費でも買える安いビタミン剤を利用することだと思うわけです。
またそのようにして国保を使わなくなれば、現在多くの国民が安易に町医者で湯水のごとく利用している社会保険財源の貯えも潤沢となり、いま以上に難病や希少疾患の治療研究に回せるようになるのではないでしょうか。

いま、賢い選択は、漏れなく副作用の付いてくる標準治療の薬でも、処方診断の難しいとされる(漢方医自体が他の漢方処方を批判している状況を以て、その難しさと「自称学問的高度さ」の証明されている)漢方薬でもなく、簡単で安価で安全性の高いビタミン・ミネラルを利用する、分子栄養医学ではないでしょうか。

漢方薬はこれまで、暴走する与党のブレーキ役である野党のような役割を、副作用の強い標準治療薬に対して果たしてきたと思うのですが、今後はその役割は、以上書いた理由により、漢方薬ではなく、ビタミンに担っていただきたいと強く思うわけです。
それと現在日本中に薬剤師の経営する漢方薬店があるわけですが、これも今後はビタミン薬局となるべきでしょう。
分子栄養学の知識を持つ薬剤師が増え、それを客にアドバイスの出来る薬店が、日本中の津々浦々にまで存在すれば、それは現在の漢方薬の販売業務以上に、日本人の健康という国益に利することになると思われるからです。


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# by imamadearigatou | 2017-10-17 10:35 | 分子栄養整形外科 | Comments(0)

一国の民度に強い影響力を持つ経団連は、カネの効率よりも、もっと国民全体が食べ物を大切にできる方向にプロデュースすべきだろう

販売期限切れの弁当はどうなる?コンビニオーナー座談会でわかった「寄付は絶対しない」の理由とは


ノスタルジーがどーたらの話ではなく、私が子供の頃は、「ある時はある。ない時はない。」ことが今よりも遥かに当たり前だったので、各家庭にはそれぞれの工夫があり、そして同時に、ない時には諦める覚悟と我慢があった。というか、そんな大袈裟なことではなかった。
終戦直後の物資不足ではなし、翌日には普通に手に入るのだから、困ったのなら、次からはこうしておこう、と計画性の大切さが自然と身に付いたのだが、そう考えると、今の社会とは、「食品に関してはそれほど頭と心を使って計画しなくて済む」社会なのだろう。
で、それがもしも食品廃棄を前提としての「便利さ」であるのならば、そんな「便利な社会」よりは、1日くらい「困る」ことが当たり前である社会の方がいいと思うのだが。

(2017,10,15フェイスブックへの投稿から転記)


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# by imamadearigatou | 2017-10-15 11:23 | 食品ロス | Comments(0)

メモ

・自然界で「いつも同じ」というのはない。
あるとすれば、それは「作為」に他ならない。

・更新には二種類ある。
知識を仕入れての、それ。
自分の頭で考えての、それ。

・痛みでは、時間概念(発症からの経過時間)に基づく急性・慢性の分類には、あまり意味がない。
臨床的には、結果的に、易治性と難治性とに分類でき得る。
ただし、その痛み発現「も」、他の自然事象同様に、常に混在表現であり(でしかなく)、易治性と難治性が混在し、さらには、それら以外の要素も複雑に絡まり、痛みは、それら自他の混沌の総体として発現、表現、産出されている。
が、その責任割合を数値化して分析することは現段階では不可能であり、我々は試治の結果を通じてのみ想像し得るに過ぎず、且つまた、そのような想像に大した意味があるとは、とても思えないのである。
ゆえに、そのことが怪しい「思い込み」や、「偏見」や、「信仰」や、「(結果的に自他に害をなす)自信過剰」に繋がるとするのであれば、科学的な信念を以て、「分からない者」としての義を貫くことは、我々の、まっとうなる生き方の一つだと想えるのである。

・たとえば鍼刺激そのものに、「東洋医学的な刺激」などといった刺激分類は有り得ず、それらがどのように多岐に亘るものであれ、それらは常に、物理学的な刺激の出力であり、生理学的な刺激の入力・受容でしかない。
「そこ」が理解できれば、医師が臨床で鍼を打つに際し、東洋医学の学習などというものが必須ではないという事実を、理解できなければならない。
今や21世紀、
もういいかげん、「鍼=東洋医学」といった低科学的な偏見の、無くならないものかと想う。

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# by imamadearigatou | 2017-10-11 18:07 | 雑感 | Comments(0)

ツールに善悪はない、故に「行」がツール化すれば殺人ツールともなる

すべての道具の使い方は霊性に照らして決定すべきものと考えますが、その判断の基準となる霊性そのものの実態が不明である以上、「科学的仮説としての霊性」を求学し続けるほか、人間に成し得る誠実さは他にない、と私には思えます。

以下の文章は2016 10,11にフェイスブックに投稿したものです。
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脳の構造を変える!マインドフルネスって何?(日経ビジネスオンライン)

来るべき未来。
世界中のビジネスマンが毎日瞑想ツールを行っている。
各国の軍隊兵士も行っている。
自己の心身能力を少しでも高め、敵を効率よくやっつけるためだ。

瞑想ツールはプロの暗殺者も行っている。
その仕事の成功率を上げ、身の安全の為にも有効だからだ。

太古の昔より、ツールそのものに、道徳も善悪もない。

たとえば日本武道というツールも、その歴史においては、自分たちの護身や利益や、イデオロギーを実現させるための道具でしかなく、長年に亘る武道の修行により鍛えられた、相手の技や精神力や人間力を惜しみつつも、結局は制し(殺し)、削除することに利用されたのである。

個人的には浅野和三郎の精神統一法の理念(方法論そのものではない)をお勧めしたい。
和三郎の精神統一法は、無念無想ではない。
それでは意味がない、と和三郎は言う。
和三郎のやり方は一念夢想である。

本来、行とは、その有効性が科学的に証明されたから行う価値がある、などといったゲスな打算による利益誘導ツールなんぞではなく、それを行った者が、自然と人としての慈悲や慈愛に、根源的に気付いてしまうものであって欲しいと、強く願う。


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# by imamadearigatou | 2017-10-11 09:52 | 理学的スピリチュアリズム | Comments(0)

新しい理学的治療の基本(7)/高度な自由意思を持つ動的生物である人間を治療するということ(1)

タイトルの、高度な自由意思を持つ動的生物である人間を治療することが、私たち理学的療法家の日々の仕事であるわけですが、自分の仕事を考える時には、その成り立ちの根本を徹底的に考えることが助けになるし、また新たな方法論の発芽ともなります。

機械、植物、動物、人間、の違いは誰でも知っているし説明もできると思います。
ただし、その説明内容のレベルには、人により天地の差があろうかと思われます。
人間と機械が違うこと、人間と植物が違うこと、人間と動物が違うこと、そんなこと、誰でも知っています。しかし、重要なのは、それをどれだけ「本質的に」理解できているのか、ということだと思います。

私はあらゆる「技術」というものが大好きです。
どんなジャンルの技術も興味津々です。
そしてその本質を考えるのは、もっと好きです。

この世界には本当にありとあらゆる様々な技術があるのですが、しかし、どのような技術においても、まずは必ず必要になるのが、自らの心身を自在に制御運用し得る自制御、という技術になります。
職人やマイスターと言われる人たちは、この自制御技術の達人であるわけです。

またスポーツや(スポーツ競技化した)武道競技の種目で言うと、この自制御のレベルの高低を争う競技としては、体操、射撃、弓、水泳、飛び込み、重量上げ、陸上競技、などがすぐに思い浮かびます。
ただマラソンなどでは、他者との駆け引きによる他制御も含まれるのですが、とは言っても、0コンマ1秒以下の緊急的な他制御を必要とするわけではないので、ここでは無視します。
そういう意味ではマラソンよりも、よりスピードの速い自転車のロード競技や、バンク競技などの方が、より他制御的技術を必要とするでしょう。

また登山などでは、単なる自制御だけではダメで、自然を読み、自然に合わせる技術が必要となりますが、それも自制御の範疇と言えます。自然を他制御することは(通常は)できないのですから。

自制御と他制御、この概念は医療においても、かなり重要な概念と言えます。

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# by imamadearigatou | 2017-10-07 21:26 | 新しい理学的治療の基本 | Comments(0)

スピリチュアリズムに組織や師は必要条件ではありません。スピリチュアリズムとは自然事象に対する個人の科学的な認識の問題です。このブログの内容が1行でも参考になれば幸いです。


by 萩原俊明
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