はじめに/言葉は汚染されている

言葉は思念を信号化しようとする試みであり、故にハナから限界の塊でしかない。
そして言葉は生まれ出たとたんに内外からの汚染を受ける。
他者に汚染されることはもちろん、自己の現認識のレベルが自己が用いている言葉を汚染してもいる。
これらが認識の前提としてまずある。

この前提を踏まえ、スピリチュアリズム発祥の英米圏と比べ、我が日本においては、スピリチュアリズムやスピリチュアルという言葉は、既に回復不能なまでの深刻な汚染にさらされている、という事実をまず認識しておかなければならない。
このブログのタイトルにわざわざ「理学的」という言葉を冠さねばならなかったのもそのためである。
私は普段スピリチュアリズムという言葉は使用せず、霊学という言葉を用いている。その理由も、霊学という言葉の方が世間の商売になり難い分、汚染の度合いも少ないからだ。

日本にはスピ系という言葉がある。
最初は単にスピリチュアリズム関連という意味での省略語だったのかも知れないが、現状では批判や嘲笑を目的として使用されることが多い。
分析すれば、それは日本的スピリチュアリズムの汚染部分、つまりは非科学的、インチキ、詐欺、商売、カルト、幻想、独善、偽善、といったものに対する批判であり嘲笑であるわけだが、これらの汚染が事実である以上はそれも仕方あるまい。

だが同時に、人間の欲や幻想にまったく汚染されていない、まっとうなる科学の対象としてのスピリチュアリズムもまた明確に現存しているのである。
そしてスピ系という言葉を多用する批判者、嘲笑者には、この領域のまっとうなるスピリチュアリズムに関しては、ほとんど無知である場合が少なくないのである。


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# by imamadearigatou | 2019-12-31 23:59

苦難は学びに満ちている

快楽から得られ残るものは虚無くらいのものだが、
苦難は対峙の最中こそ悲鳴を上げるほどに辛いが、
それにより得られ残るものは大量にある。

心の痛みは決して毒などではなく、
自己を真の愛へと導く師であるということが、
今は分かる。



# by imamadearigatou | 2018-11-29 09:55

スピリチュアリズムに組織や師は必要条件ではありません。スピリチュアリズムとは自然事象に対する個人の論理的な認識の問題です。このブログの内容が1行でも参考になれば幸いです。


by 萩原俊明
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