鍼灸・整体はカンチョーと同じ/貴重な保険医からの栄養医学臨床報告本

「ざっくり医療講座」

標準治療の守備範囲で有効な行為は、救命、救急、生命維持処置、疼痛緩和、防疫、それらに伴う看護、リハビリ、相談+介護関連などです。
それ以外の分野では、製薬の営利的介入、不要な医療化、それらに伴う社会保険金の浪費&不適切使用、患医共依存、などが起きやすくなります。

病気は原因を解決しない限り、治ることなく何度でも繰り返します。
これが医療におけるリピーターであり、リピーターは健康自主管理することなく医療に丸投げ依存し、医療はそういった丸投げリピーターに経営の依存をしています。

ここ近年、多くの病気や症状が現行の標準医療を受けずとも、食事の改善とビタミン・ミネラルなどの栄養摂取にて副作用なく完治・解決することが、全国の栄養医学実践医師らの報告により分かって来ました。
これまで漠然と、先進国に栄養失調は存在しないと思われていましたが、それはこれらの臨床結果から、間違っていたと言えるでしょう。

例外を除き、多くの人は生まれて来た段階で、その健康保全機能を既に天から保証されています。ただしそれには条件があり、「過不足を行なわない」ということになります。
それさえ守っていれば、基本的に人は種としての一生を全うできるようになっています。

栄養医学とは、栄養摂取の過不足を個体差に合わせて調整する方法論です。
栄養以外の過不足要因として重要なのは身体運動と環境です。
つまり、先天性の難病等を除き、後天的な疾患の原因の三大要因は、栄養、運動、環境、であり、その改善の実践を行ないやすい順番も、栄養>運動>環境、となります。

最も難しい環境自体を変えることは個人の力では限界がありますが、しかしその環境に居ながらにしても栄養の過不足調整は行なえます。
あるいは、運動が出来ない、苦手だ、という人でも、栄養要因に関しては、寝たきりの人でも改善することは可能です。

ちなみに、栄養不足が原因で生じている症状に対しては、標準治療だけでなく、漢方薬、鍼灸、整体等でも、もちろん完治・解決することは永遠にありません。
そして、病院や漢方・鍼灸院、整体院にかかる患者のほぼすべてに、実は何らかの質的栄養不足が原因で発症していることは、最近の栄養医学実践医の臨床報告から、ほぼ間違いないと思われます。

「おまけ」
鍼灸・整体と漢方の大半は、ざっくり言えば、疎通医療です。
滞りを解消し、流通・循環を促す方法論であり、実際滞りが解消すると、その場で(あるいは1日~数日で)症状も激変します。
それゆえに患者は「ゴッドハンドだ!!」と感動したりもするのですが、何のことはない、やってることは、糞詰まりのイチジクカンチョーなんです。
でも便秘は苦しいですよね。それがスコーンと通った時の快感ときたら、そりゃあもう、両手に天使で昇天さ、ってくらいですからね。

でも疎通がどんなに快感でも、便秘にしても、その原因を解決しない限りは、同じようなことを何度も何度も繰り返すわけです。
それを業界ではリピーターと言い、経営的には重要なわけですが、これを患医共依存と言うのです。
栄養疾患に対して、漢方薬も鍼灸も整体も、その患者に必要な栄養を供給することは最初からできません。疎通するだけです。
だから永遠に解決せず、リピーターなわけです。
ただし、たまに完治解決する場合もあります。
それは、患者に元々栄養が足りていて、たまたま不通が生じていたような場合です。

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さて、
「栄養医学実践医の臨床報告が書籍になりました」
https://ameblo.jp/kotetsutokumi/entry-12377280781.html

今回の出版は色々な意味で貴重であり画期的です。
これまでの、まるで富裕層を相手にしているとしか思えない(ビンボー人はお呼びでない、商売っ気ありありの)既存の栄養医学と違い、今回は庶民の味方、保険医からの報告だからです。

(引用開始)

NextPublishing Authors Pressより本日発売となりました

医学界には二重盲験試験(RCT)で証明されたもののみがベストエビデンスであるという「神話」があり、ほとんどの医者はそれが正しいと信じ切っています。
しかし、RCTで示される2群間の差というのは、目では確認できない差を顕微鏡を使って違いを見つけるような小さなものです。
従って、誰の目から見ても明らかな治療成績の違いが確認できる治療法についてはRCTは必要なく、むしろRCTを行うことは非倫理的で非人道的と言えます。
分子栄養学による治療は従来の治療に比べ圧倒的な治療成績を示しており、着実に実行すれば誰でもその圧倒的な効果を確認することができます。
病気を治したければ、実際に治った人と同じ事を行えば良いのです。
この症例集は、本気で病気を治したい人、健康自主管理を行いたい人に届けたいという思いで書きました。
治せない医者に全てをお任せするのではなく、賢明な患者となり自分で治してしまいましょう。

本の詳細はこちらから
https://www.amazon.co.jp/dp/4802094345

元記事はこちら
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1669756206474030&id=100003189999578

(引用終了)




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# by imamadearigatou | 2018-05-20 10:56 | 理学的医療

可処分所得

可処分所得とは、「家計が自由に処分することができる所得」という意味で、実収入から、税金や社会保険料などの非消費支出を差し引いた手取り収入のことです。
これ大事ですよね。

都内中央区で開業していた時、もうこれ以上家賃の為(大家の為)に働くのはイヤじゃーっ、と思い、中央区の1/3の賃料の墨田区に移転しました。
もちろん患者数は激減しましたが、同時に家賃も激減したので、自由時間がたっぷり取れて、本も読めるし、ギターも弾けるし、また自宅から徒歩5分の場所だったので18時には家に帰り、毎日妻と夕食を楽しく共にできました。
佐渡に引っ越したのは、それから3年後のことでした。

ちなみに佐渡での毎月の家賃は、墨田区時代の、マンションと店の合計家賃の1/20となり、おかげで収入も激減したものの、それでも妻は念願の専業主婦になることができたのです。
まあ晩年だけは、私があまりにも稼がな過ぎるので自らパートに出るようにもなりましたが、それでも妻は、毎日大好きな植物や野菜や小鳥や野良猫に囲まれて、けっこう幸せそうでした。
額面の収入よりも、自分たちが一緒に居られる時間を優先したおかげで、本当におだやかで、気持ちの良い時を、たっぷりと二人で過ごすことができたと思います。
そのことだけは、本当に今でも良かったと、想っています。


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# by imamadearigatou | 2018-03-16 07:44 | 雑感

人として生まれて来た意味

人として生まれて来た理由として、
私自身の最新の解答は、それは、
「考えるため」です。

すべての行動とは、脊髄反射的な体動以外に於いて、
自分が心の中で考えたことと、外的要因とのぶつかり合いに於いて、
その具体的事象が発生発現します。

人が何を成したか、という時、
通常はその行動そのものについて論じられる事が圧倒的に多いのですが、
行動の始まりとは思考を具現化しようとすることです。
しかし人は一人で生きているわけではないので、
その思考や行為は、常に外的要因の影響干渉下にあります。
そうしてその交流に於いて生じた事象が自身の行動の歴史となります。

世の中には、体をピクリとも動かせない病気や状況が現存します。
しかし、思考する能力があるのであれば、
それは、その思考とは、行動である、と言えます。

スピリチュアリズムに於いては、思考とその実践がすべてであり、
体が動かないのであれば、思考そのものが実践となります。
ましてや話すこと、書くことは、行動以外の何ものでもありません。
ゆえにこそ、書いたことや話したことは、世間から批判も受けるわけです。

私利私欲や商売に全く無関係な、まっとうなるスピリチュアリズムの過去文献によれば、
人は霊性を高める修行を行なうために現世に生まれてくる、
と(各時代・各場所に於いて同様の内容が)通信されています。

人は何のために生まれて来るのか。

それは、
考えるために、なのです。

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# by imamadearigatou | 2018-01-21 16:28 | 理学的スピリチュアリズム

なかなか書けません/死別悲嘆を解決し得た個人的な記録(1)

そもそもこのブログは、理療よりも、私の認識するスピリチュアリズムという分野に対する理学的な考え方を紹介すること目的として開設したのですが、いざPCに向き合うと指が動きません。
フェイスブックでは簡単に書けるのですが、ブログではそうはいきませんね。

フェイスブックの方では、これまでの(特に英米の19世紀末期から20世紀にかけての)死後通信及び現象に関する、科学的(であろうと努力したことが充分にうかがえる)各記録群の知識を前提として、そういった話をしても驚かない、認識の広い友人知人たちと非公開のグループサイトを作っており、そこだとメモ的に何でもスラスラと書けるのですが、ここでは書けないんですね。

その最大の理由として、
この私自身が、妻の死による死別悲嘆のどん底の精神状態を体験しているからで、
ゆえに今現在そういった心の状態にあるかも知れないような人たちに対して、
一言たりとも、いいかげんな事は書けない、と強く思うからです。
と言ってももちろんそれは個人的価値観による自主規制でしかあり得ないのですが、
いや、だからこそ(それが強過ぎる?)、なのかも知れませんが。

ただ、私自身のことを言えば、私は現在、死別悲嘆に関しては、ほぼ完全に救われています。
というか、自力にて自分をあの地獄のような精神的状況から無事救い出すことが出来たと言えるでしょう。
ただしそれは、確かに学習による自助行為であったとはいえ、そのことに関して学習し得る研究資料を残しておいてくれた、先人研究者たちが少なからず居てくれたおかげであると言えるでしょう。
なので、もしもそれらの先人研究がなかったとしたならば、宗教(特に各一神教)というものを小学生の頃から否定し不要としていた私は(他人の宗教心を否定はしませんが)、未だに苦しみ続けていたかも知れないのです。

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# by imamadearigatou | 2017-12-20 15:56 | 理学的スピリチュアリズム

貧乏ゆすり様運動の効果検証進む 変形性股関節症の疼痛が軽減

貧乏ゆすり様運動の効果検証進む変形性股関節症の疼痛が軽減


これはすごい記事です。

「揺らし」が劣化した関節構造を、X線画像で確認可能に復元させる、という記事です。


(引用開始)「最初に痛みが軽減され、次に可動域が改善され、最後にX線で改善が認められる。3分の1は良くなり、3分の1は変わらないという印象。何もしなければ進行するので、十分効果があると思う」との見解を示した。(引用終了)


私の投稿をチェックしている人たちなら分かると思いますが、変化のない人たちには栄養の足りていないことが強く推察されます。

なので今「分子栄養学整形外科」が必要なのです。

それと「揺らし」がジグリングという名で、1970年代から行われていたということを初めて知りました。

リンク記事内のリンク記事もぜひ読んでみてください。

私は「揺らし」を、もう10年以上臨床で用いていますが、今でもその試治の結果には驚くことばかりです。

私は「揺らし」を3種類に分けて施術&セルフケア指導しています。
それが「ノーマル・スイング」「カウンター・スイング」「ストレッチ・スイング」の各スイングです。

ジグリングは始め、他動運動として行われたようですが、「貧乏ゆすり」は自動運動ですね。
そしてそれでも効果がある、ということです。

ちなみに私がセルフケアとして患者さんたちに指導しているやり方は、「自動他動的揺らし」です。
つまり当該関節を動かす筋肉を用いずに、当該関節に無関係な別の筋肉のエンジンで揺らす、というやり方です。

それとリンク記事では一切触れられていませんが(たぶん認識していないのではないかと思われます)、「揺らし」の効果の真骨頂は遠隔作用にあります。
つまり、たとえば股関節を揺らすことで(股関節でなくともかまいません)、股関節以外の遠隔パーツの症状を取ったり改善できる、ということです。しかも最短30秒以下で。
私の臨床では、頚、肩の痛み、及び動作障害。頭痛、手足・体幹の冷え、食欲不振、胃腸障害、不眠などが、治るか改善します。
これらの多様な作用の機序として考えられるのは、鍼灸同様に、自律神経の状態をクイックで変え得る作用が「揺らし」にあるからだと思えます。

その効果の程度としては、私は「操体法」と同レベルだと思っていますが、「操体法」よりも遥かに簡便なので、忙しい臨床現場には「揺らし」の方が、「操体法」よりも適していると思えます。



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# by imamadearigatou | 2017-10-31 19:05 | 理学的医療

スピリチュアリズムに組織や師は必要条件ではありません。スピリチュアリズムとは自然事象に対する個人の科学的な認識の問題です。このブログの内容が1行でも参考になれば幸いです。


by 萩原俊明
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