なかなか書けません/死別悲嘆を解決し得た個人的な記録(1)

そもそもこのブログは、理療よりも、私の認識するスピリチュアリズムという分野に対する理学的な考え方を紹介すること目的として開設したのですが、いざPCに向き合うと指が動きません。
フェイスブックでは簡単に書けるのですが、ブログではそうはいきませんね。

フェイスブックの方では、これまでの(特に英米の19世紀末期から20世紀にかけての)死後通信及び現象に関する、科学的(であろうと努力したことが充分にうかがえる)各記録群の知識を前提として、そういった話をしても驚かない、認識の広い友人知人たちと非公開のグループサイトを作っており、そこだとメモ的に何でもスラスラと書けるのですが、ここでは書けないんですね。

その最大の理由として、
この私自身が、妻の死による死別悲嘆のどん底の精神状態を体験しているからで、
ゆえに今現在そういった心の状態にあるかも知れないような人たちに対して、
一言たりとも、いいかげんな事は書けない、と強く思うからです。
と言ってももちろんそれは個人的価値観による自主規制でしかあり得ないのですが、
いや、だからこそ(それが強過ぎる?)、なのかも知れませんが。

ただ、私自身のことを言えば、私は現在、死別悲嘆に関しては、ほぼ完全に救われています。
というか、自力にて自分をあの地獄のような精神的状況から無事救い出すことが出来たと言えるでしょう。
ただしそれは、確かに学習による自助行為であったとはいえ、そのことに関して学習し得る研究資料を残しておいてくれた、先人研究者たちが少なからず居てくれたおかげであると言えるでしょう。
なので、もしもそれらの先人研究がなかったとしたならば、宗教(特に各一神教)というものを小学生の頃から否定し不要としていた私は(他人の宗教心を否定はしませんが)、未だに苦しみ続けていたかも知れないのです。

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by imamadearigatou | 2017-12-20 15:56 | 理学的スピリチュアリズム

スピリチュアリズムに組織や師は必要条件ではありません。スピリチュアリズムとは自然事象に対する個人の科学的な認識の問題です。このブログの内容が1行でも参考になれば幸いです。


by 萩原俊明
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