カテゴリ:新しい理学的治療の基本( 7 )

新しい理学的治療の基本(7)/高度な自由意思を持つ動的生物である人間を治療するということ(1)

タイトルの、高度な自由意思を持つ動的生物である人間を治療することが、私たち理学的療法家の日々の仕事であるわけですが、自分の仕事を考える時には、その成り立ちの根本を徹底的に考えることが助けになるし、また新たな方法論の発芽ともなります。

機械、植物、動物、人間、の違いは誰でも知っているし説明もできると思います。
ただし、その説明内容のレベルには、人により天地の差があろうかと思われます。
人間と機械が違うこと、人間と植物が違うこと、人間と動物が違うこと、そんなこと、誰でも知っています。しかし、重要なのは、それをどれだけ「本質的に」理解できているのか、ということだと思います。

私はあらゆる「技術」というものが大好きです。
どんなジャンルの技術も興味津々です。
そしてその本質を考えるのは、もっと好きです。

この世界には本当にありとあらゆる様々な技術があるのですが、しかし、どのような技術においても、まずは必ず必要になるのが、自らの心身を自在に制御運用し得る自制御、という技術になります。
職人やマイスターと言われる人たちは、この自制御技術の達人であるわけです。

またスポーツや(スポーツ競技化した)武道競技の種目で言うと、この自制御のレベルの高低を争う競技としては、体操、射撃、弓、水泳、飛び込み、重量上げ、陸上競技、などがすぐに思い浮かびます。
ただマラソンなどでは、他者との駆け引きによる他制御も含まれるのですが、とは言っても、0コンマ1秒以下の緊急的な他制御を必要とするわけではないので、ここでは無視します。
そういう意味ではマラソンよりも、よりスピードの速い自転車のロード競技や、バンク競技などの方が、より他制御的技術を必要とするでしょう。

また登山などでは、単なる自制御だけではダメで、自然を読み、自然に合わせる技術が必要となりますが、それも自制御の範疇と言えます。自然を他制御することは(通常は)できないのですから。

自制御と他制御、この概念は医療においても、かなり重要な概念と言えます。

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by imamadearigatou | 2017-10-07 21:26 | 新しい理学的治療の基本

新しい理学的治療の基本(6)/接触鍼、皮内鍼、トリガーポイント鍼から学ぶ認識の曖昧さ

トリガーポイント鍼療法とは、「ここがトリガーポイントである」と施術者が(患者の痛覚認識を基に対話し触診して)決定した部位に、各種の鍼を刺入・操作する、という刺激を身体・脳神経系に与える治療法です。

さて、鍼の先端部を、たとえば筋肉内にトリガーポイントが存在していたとすれば、そこに鍼を刺入するためには、SFスタートレックでおなじみの「(フォーカスされた)物質転送」行為でも行なわれない限りは、通常は、トリガーポイント部位に鍼尖が到達するまでには、ざっくりと考えても、「皮膚→皮下→皮内→筋膜→筋→トリガーポイント」という経過を通らざるを得ないわけです。

ここで私が言いたいこととは、
このような複数の(しかも発生学的にも異なる)組織部位を、同時に刺激するような行為を、
単純に、自分はトリガーポイント(だけ)を刺激している、と断じてもよいものなのでしょうか。
であれば、接触鍼や皮内鍼の効用(再現性大ありです)とは、いったいどのように関連し、あるいは関連しないのでしょうか。

私や私の仲間たちにおける臨床や、それ以外でも全国的に確認されている、トリガーポイントの存在する表面の皮膚上に、円皮鍼や皮内鍼、あるいは長谷川皮膚刺激ツール(ピソマやハペ製品など)を接触・固定するだけでも、痛みが実際に取れてしまうことの多い現実を、トリガーポイント刺入派の治療家は、どのように考えるのでしょうか。

もしも、この辺境のブログの読者で、
私や、私の数少ない仲間たちと共に、
理学派としての治療を行ないたいと思うのであれば、
たとえばトリガーポイント鍼という名目での刺入行為を見た瞬間に、
これらのことが、息をするごとく、
当たり前に想起認識され得る治療家であって欲しいと思います。

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by imamadearigatou | 2017-09-18 15:18 | 新しい理学的治療の基本

新しい理学的治療の基本(5)/理学的治療は永久更新する

遠い昔、錬金術という「行為」があったそうです。
金を人工的に合成したかったのですね。実に人間らしい発想だと思います。
当時可能であった、ありとあらゆる物理的・化学的作用を試したのでしょうね。
その結果、金は作れませんでしたが、その過程で色々な(これまで知らなかった)現象を観察することが出来たはずであり、私には、「その知見」こそが「金」だと思えるのです。

それから科学は更新を重ね、現在はダイヤモンドが人工的に造れるようになりました。
しかし、貴金属の本質とは、工業的な価値以外の価値とは、共同幻想でしかありません。
ところがまた人は、共同幻想で、死ねもするのです。
人間人生の面白さ、としか言いようがありませんが。

それはともかくとして、
昔のようなスタイルの錬金術を行なう人はいなくなりました。
その理由は、そんなやり方では金が造れない、ということが分かったからです。
つまり、有効性のないことが分かったからです。
いいですね。こういう事象は。白黒つけ易くて、分かり易くて。

そして工業科学の世界というのは、このようにして更新を重ね、100年前はもちろんのこと、最近では数年前、いや1年までは不可能でしかなかったことが、実現できるようにもなっています。
これが「更新」ということなのです。

さて、ここからは、前回の「治ることは自論の証明にはならない」の補足になるのですが、
私が東洋医学を採用しないのは、東洋医学には、この「更新」という文化と認識がないからです。
東洋医学の黎明期は錬金術同様に、その時代の限界に挑戦した、科学的行為であり思考であったと思うのですが、錬金術は科学に更新され、東洋医学は保存的ドグマとなってしまいました。
なので、東洋医学の黎明期の人たちが、現在の東洋医学の在り様を見たらびっくりすると思います。
決して喜びはしないと思います。
というのは、私は黎明期の人たちは、その時代の限界に挑戦した最新の科学者だったと思うからです。
そういう志の高い人たちが、「自分たちの現在の考え方(理論)を、未来永劫変えてくれるなよ」などと願うでしょうか。
私は、少なくとも、医療者がそのような発想になることはないと信じます。
医療者とは、どのような時代であれ、常に、患者が安全に効率良く治ることを、強く願う存在であるものだと思うからです。

ではなぜ、錬金術は科学になったのに、東洋医学は保存文化になってしまったのでしょうか。
その答えは簡単です。
錬金術では金が出来なければ、それまで、だからです。否定するしかないからです。
ところが医術には、大きな「落とし穴」が、古代から存在するからです。
それは、「人体(あるいは生命)とは、(寿命が来るまでは)基本自然治癒するよう設計されている存在であり装置である」からです。

つまり錬金術で言えば、「医術とは、(それがよほどの破壊行為でもない限りは、かなり何をしようが)金が実際に造れてしまうことが、起きてしまう行為」であるのです。

これでは勘違いもしますよね。
そして勘違いしないためには、反証的臨床の実践と、そこから事象の本質を抽出しようとする地味な作業の連続が不可欠なわけですが、そこが、科学との分かれ目なんですね。

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by imamadearigatou | 2017-09-16 20:10 | 新しい理学的治療の基本

新しい理学的治療の基本(4)/治ることは自論の証明にはならない

患者が治るという事象を以て、自分たちの治療理論や方式の正当性を信じ・語る治療者がいますが、それは違います。
「治った、だから自分たちの理論と方式は正しい」、では間違いです。

世の中には、○○治療とか○○方式といった治療法が数多く存在し、それぞれ一派を成し、そしてそれぞれの治療や方式には、それぞれの理論と、その理論の元となる概念の約束事が存在しています。
私も以前はそういった治療法のいくつかを行なっていた時期があったのですが、あるとき、ある治療法の約束事をうっかりと間違えて治療したにもかかわらず、いつも通り患者さんが治ってしまう、という事象を何度か経験し、その約束事自体に疑問を持つようになりました。

つまりこの事実は、その流派が主張している学理とは違う、
「もっと別の治病の本質が存在している」からである、
ということに他ならないからです。

そのことに気付いてからは、鍼灸だけでなく手技系治療も含め、色々な治療法の約束事をわざと無視して治療してみたのですが、それでどうなったかと言えば、
約束通りに行なっても、約束を無視して行なっても、治るときは治り、治らないときは治らない、という実に当たり前な結果だったわけです。

私はその数年に亘る「反証的臨床」から、治った時の臨床に共通する要素、治らなかった時の臨床に共通する要素を思考し、抽出し、治っても治らなくても、その事象をトータルで矛盾なく説明出来得る仮説を導くようにしたのです。
それが現在の私の理学的治療となっています。
結果として鍼灸に於いては、私の治療では、東洋医学理論は不採用としました。
ただし漢方薬に関しては、これは物質であり、ツールとして役に立つものも事実として存在しますので、そういったものは利用し、より研究を進めればよいと思います。

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by imamadearigatou | 2017-09-09 09:38 | 新しい理学的治療の基本

新しい理学的治療の基本(3)/症状の上流と下流を見極める

病や症状の原因には上流と下流があります。
ゆえに医療にも、上流に対するアプローチと下流に対するアプローチがあるのですが、そのことを明確に認識している医療者は極めて少ないのが現状です。
一つはその概念に無知であること。
もう一つは、知っているのに、そのことをわざと黙っている場合です。

これを私は上流医学と下流医学として分けているのですが、しかしそれは、どちらが認識レベルとして上だとか、下だとか、そういうことではありません。
あくまでも病や症状の時間的な流れを川の流れに見立てているだけのことであり、それへの対処の必要性自体は等しく変わりはないからです。どちらも現実には、とても大切だからです。

病の上流における問題の最も分かり易い事例は、質的栄養障害によるものです。
これには不足による害と、摂り過ぎによる害があります。
たとえばそれは、糖質の摂り過ぎによる害であり、ビタミンやミネラルの不足による害です。
そして原因がそうであるような時に、通常の(漢方を含む)薬物療法や物理療法や心理療法では決して解決しないのだ、ということを、当たり前のこととして理解できないようでは、この社会における医療者としての存在理由そのものが疑われるわけです。

それはまた東洋医学と称されるものにしても同じことです。
たとえば東洋医学が脚気や壊血病という栄養障害による重大な病を、社会的に解決し得た歴史は日本にも中国にもありません。
にもかかわらず、そのような「不完全な理論」に少しも疑いを持つこともなく、目の前の患者をその不完全な理論(=古代妄想)のベルトコンベアに乗せることに、むしろプライドや美学すら持っているという伝統フェチな業界人たちが少なくないのが現状です。
しかしそれは患者の立場としては極めて迷惑なことでしかなく、そんな個人のフェチや美学の犠牲なんぞには、決してなりたくないことだと思います。

ゆえに漢方オタクの内科医は、ビタミンBやCなどの栄養が不足して発症しているような患者に対して(これは栄養学に無知だと推理すらできずに見逃がします)、無意味で無効なオレサマ妄想漢方※などを処方するのではなく、1分1秒でも早く、さっさと安いビタミンBやCを処方orアドバイスすべきではないのでしょうか。

そしてそれはまた、私たち鍼灸師や手技療法家にも、まったく同じことが言えると思います。
理学療法理論やカイロ理論や陰陽五行論で、栄養障害などの「上流の問題」は決して解決できないのに、骨格診や筋診や脈診やベロ診で、何でも分かると勝手に思っている大御所も少なくないようです。

ゆえにこそ、その病態の上流性・下流性の混在を見極める認識力が、医療者には絶対に必要なのです。

川の上流でゴミが廃棄され、川が汚染されているような時、そのゴミを上流の段階で回収する、あるいは廃棄させない、あるいは廃棄物そのものが出ないように思考し実践するのが上流的解決です。
一方、上流から流れて来たゴミを、上流の問題には何ら手を付けず放置のまま、ただもう下流に溜まったゴミを1年中片づけているのが下流的解決と言えます。
商売や利権としては、もちろん下流的処置が儲かるに決まっていますね。

※誤解のないように書いておきますが、オレサマ妄想漢方というのは、漢方自体がオレサマ妄想だということではもちろんありません。この私自身、漢方薬は未確認orある程度確認済みの生化学ツールとして利用していますから(ただし理論は不採用)。
またオレサマ妄想という表現は、私がそう思っているのではなくて、実際に日々、漢方を処方されている漢方医の先生方たちが、他流派の先生方に対して(or自流派の中の変人先生に対しても)よく言われているような批判を、まとめて一言で表現しただけです。




<<付録「上下ざっくり分類」>>
・上流医学
栄養療法、衛生学、運動療法、認識教育、環境調整など。

・下流医学
救命救急、通常内科~外科(全科)、漢方、鍼灸・手技・カイロなど。



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by imamadearigatou | 2017-08-13 19:24 | 新しい理学的治療の基本

新しい理学的治療の基本(2)/長いものにこそアプローチせよ

私たち理療家の治療において、人の1日を24時間として、
一人の患者の治療時間をどれくらいに設定しているでしょうか。
おそらくは30分から1時間前後だと思います。
さらにはそれを週に何回行なえるのでしょうか。
仮に毎日とか週に3回も治療出来るのであれば何とかコントロールも可能かも知れませんが、それが可能であるのは、おそらくは保険の効く接骨院くらいであり、自由診療の鍼灸院などではほとんど、よくて週1回の治療となっていると思います。
ですが、それならそれで仕方ないではありませんか。
それを前提として知恵(=認識)を駆使するのが、私たち理療家の社会的役割なのだと思います。

さて、人の心身に影響を強く与えている要因としては、洗脳的刺激入力などを除けば、単純に、長時間(=24時間✖365日)連続して運営されている心身機能の現状能力の質ではないのか、と考えられます。
たとえばそれは、心臓や肺や腎機能などのように、24時間連続して機能している生命維持装置系の質(=スペックや耐久性)、であろうということです。

たとえば私は、「ぎっくり腰」(という比較的簡単に治せる一時的な機能症状)の治療をする時でも、また他のすべての治療時においても、「その事」を常に考えた具体的な入力をしています。
これが私の、今まであまり公開してこなかった裏の治療と言えます。
患者を本気で早く治してあげたいと思うのであれば、長いものへのアプローチは必須なのです。

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by imamadearigatou | 2017-08-12 19:46 | 新しい理学的治療の基本

新しい理学的治療の基本(1)/初めに認識ありき

治療のやり方なんか、どうだっていいのです。
熟練していようがなかろうが、見た目に美しかろうがなかろうが、
とにかく、
患者の心身の健康を一切損なうことなく、
患者が元気に治りさえすれば、それで良いのです。
出来ればそこに、治るに際して、
お互いに認識の獲得や向上があるのであれば、なおさら良いわけです。

治療とは自己の認識の具現です。
ゆえに認識が低級であれば、技術もまた低級でしかないのです。
それは見た目の速さや美麗とは無関係のものと言えます。
仮にそれが美しく見えたとしても、そんなものは単なる結果的な現象に過ぎません。
ゆえに自己の技術に美麗を求めることは、こと医療に於いては極めてナンセンスであり、無認識であると言えます。




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by imamadearigatou | 2017-08-12 17:19 | 新しい理学的治療の基本

スピリチュアリズムに組織や師は必要条件ではありません。スピリチュアリズムとは自然事象に対する個人の科学的な認識の問題です。このブログの内容が1行でも参考になれば幸いです。


by 萩原俊明
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