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近年の医療の4大パラダイムシフトについて

私の認識の中での近年の医学医療のパラダイムシフトは、湿潤療法、糖質制限、MPS(筋・筋膜性疼痛症候群)及びFSS(機能性身体症候群)だったのですが、それに加え、藤川先生の三石分子栄養学+オーソモレキュラー医学を批判的に検証実践更新中の知見を含め、4大パラダイムシフトであると思っています。
ちなみに糖質制限と藤川先生の分子栄養学は一部認識が重なっているところもありますが、糖質制限だけでは、とうてい解決できない諸問題があまりにも多くあり、4つ目のパラダイムシフトとして藤川分子栄養学を加えるわけです。

ところで、この4大パラダイムシフトの中で最もマイナーな存在が、というよりは、糖質制限派の医師たちとの連携がほとんど感じられないのがMPS・FSSの分野なのです。
MPS・FSS概念の功績とは、整形外科分野に於ける痛みの責任領域を、従来の器質の変形理論から、脳機能にシフトした点にあると言えます。
ゆえに私の尊敬する石川の加茂先生のブログタイトルは「心療整形外科」なわけですが、しかしMPS・FSS医学には、残念ながら、栄養医学と疼痛との考察がないのです。これは本当にもったいないと思えます。

たとえば慢性疼痛症に対しては、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs:Non-Steroidal Anti-Inflammatory Drugs)とは、抗炎症作用、鎮痛作用、解熱作用を有する薬剤の総称で、広義にはステロイドではない抗炎症薬すべてを含みます。)が効かない場合が多く、ゆえに(脳関連の不具合に起因する痛みと観て)抗うつ薬などが投与されるわけですが(実際に効果のあるケースが少なくない)、しかし抗うつ薬には複雑な副作用も少なくなく、ゆえに私は、この運動器の疼痛分野にも、積極的に分子栄養学を採り入れるべきだと思うわけです。
何しろ栄養サプリは(よほど非常識なことをしない限りは)無害ですから。

うつ・パニックが鉄とタンパク質とビタミン不足に深く関与していることが既に栄養医学臨床の事実として示されている時、身体性うつとも言われる慢性疼痛症にも、質的栄養不足が深く関わっているのではないのか、と考えることは、むしろ「遅すぎた」、とも言えると思うのです。

加茂先生はパラダイムシフトとして「心療整形外科」という素晴らしい概念を私たちに示してくださいました。
その恩に報いるべく、私たちは、それに加え、「分子栄養整形外科」という新たなる概念を以て、明日からの痛み臨床にあたることが重要ではないのか、と考えます。

それにしてももっと驚くのは、操体法の橋本敬三医師の、病気の原因は「息・食・動・想&環境」の中にある、ということを、昭和の初期から言い続けていたわけであり、さらには、フローレンス・ナイチンゲールに至っては、病気とは認識の産物である、ということを第一次大戦の頃から言っているわけです。

ただ、認識の構築には正しい情報が必要です。
ゆえに私たちは、今後も、分子栄養学を(事実に基づき)批判的、反証的態度で更新させたいと思うわけです。


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by imamadearigatou | 2017-07-22 22:23 | 分子栄養整形外科

ビタミンCと、風邪、インフルエンザ、鳥インフルエンザ


かつてタミフルの備蓄なるものが各国政府数十億ドルという莫大な税金投与で行なわれ、
そして使用されなかった。
もちろん、リスク対策の評価としては、使用されなかったから無駄というわけではない。
そんなことを言えば、予防対策など出来なくなるからだ。
むしろ無駄になって良かった、とも言えるのである。
ただし、その対策が、
まっとうなるものであったのであれば、という前提で、だが。

「母さん、僕のあのタミフル、どうしたんでせうね?
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね」



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by imamadearigatou | 2017-07-20 21:44 | 理学的医療

ビタミンの利用とは自然事象である

この地球上で、マイナス数十度の自然環境の中にあっても、「文明的生活」を維持できるのは、あらゆる生物の中でヒトだけです。
そしてそれはヒトの知恵の力によるものと言えます。

同じように、質的栄養不足を自然の厳しさと同様である、と捉えれば、なぜ栄養医学というものが人類に必要であるかの理由も腑に落ちます。

工業的に造られたプロテインやビタミンを摂る事を「不自然である」と否定する人たちがいますが、しかしそういう人たちも普通に冷暖房を使い、日常的に車や公共交通、あるいは飛行機を利用しています。

人は手の力だけでは、100kgの石を動かすことも出来ません。
しかし、テコを使えば、ほとんどの人はその石を動かすことくらいは出来ます。

ではテコの利用とは、人として不自然なのでしょうか。

私はビタミンサプリの利用もテコの利用も、本質は同じであると思います。

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by imamadearigatou | 2017-07-19 20:41 | 理学的医療

あらゆる医科領域疾患とタンパク質は関連している


これ↑、プロテインの飲み方自体は明治ザバスに丸投げしてるだけなのですがw、そんなことはどうでもよくて、要するに、我が国の痛み研究の第一人者であった熊澤孝明先生の後をバリバリ継ぐ医師が、タンパク質摂取の重要性をちゃんと認識しているところがすばらしいわけです。
さすが、痛みは集学的に対処すべき必要性を熟知しているドクターかと思われます。

中年以降の慢性的腰痛や膝OA、肩・腕の痛み等に、質的栄養不足は深く強く関係していると思われます。
というのは、そういった人たちに食生活を訊ねると、ほぼすべての人たちでタンパク質が圧倒的に足りていないからです。
そしてこの傾向は男性よりも女性に顕著です。

日本の中高年女性は、米(及び他の炭水化物等)と砂糖(及び異性化糖等)を明らかに摂り過ぎています。


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by imamadearigatou | 2017-07-19 16:33 | 理学的医療

「うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった」



待望の書が、やっと発刊されました。
私は5冊買いました。
職場のスタッフ全員にプレゼントするためです。
それはみんなに長く元気でいて欲しいからです。

この本は精神科医による、新しい認識による栄養の重要性を説いた本なのですが、私は以前より、運動器の老化障害を担う整形外科領域にこそ、真の栄養学が必要であると強く認識しています。
特に当県のような第一次産業地域に於ける、老化と栄養不足により結果として本人の体力に見合っていないオーバーワーク等による、細胞損傷を伴う運動器の変形や痛みが、鍼灸や手技や電気だけで治るわけがないからです。
それは、物理療法や薬物療法や手術で患者の栄養不足を改善させることは、最初から不可能だからです。
その「特効薬(=本質的な真の解決)」は、患者個々人が認識を得るしかないからです。

で、国民の認識が本当に上がってしまうと、多くの医療(=医療化産業)は商売にならなくなるのですが、でもご安心ください。
この認識は決して浸透し実践されることはないからです。
それはもうこれまでの長い歴史が証明しています。
ほとんどの人たちは、自分たちのより良い人生の為に現在の食習慣を大きく変えることなど、まず出来ません。
そんな改善力はまったくありません。
ゆえに大勢はピクリとも揺るがないでしょう。
ゆえに今後も「医療化産業」は、安心して商売を続けられるでしょう。
私が保証します。

でも、もしもあなたが、「医療化産業になんて儲けさせたくない」と強く思うのであれば、こういった本を読むことは、あなたの強力な武器となるでしょう。


(引用開始)

当時の研究は、医学研究者や医師に認識してもらうために執筆した。
今回の研究は、一般人に認識してもらうために執筆した。
今回の仕事は、あの時の仕事の何十倍も何百倍も価値あるものだと確信しています。

15~50歳女性の70~80%はフェリチン30以下の重度の鉄不足、50歳以上の女性の約20%はフェリチン30以下の重度の鉄不足です。
全国で推定3000万人の鉄不足女性がおられる計算になります。

自信がない、何をやっても上手くゆかない、長続きしない、ストレスに弱い、など自分の性格だと諦めている方だけど、実は鉄不足の症状だったという場合が非常に多いのです。
何年も何十年も鉄不足が続いているのに、その事実に気付いていないだけです。

高タンパク/低糖質食+鉄で確実に良くなります。
数ヶ月の治療で別人のように元気になれます。
治療後、”自分は元々はこんなに元気だったんだ”と気付かれる女性が多数です。

この事実に気付いて、これを実践して健康を取り戻した人は、周りの人にも教えてあげて下さい。
一人でも多くの人が元気になられることを望みます。
健康は取り戻せるはずです。
(引用終了)



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by imamadearigatou | 2017-07-19 10:06 | 理学的医療

悲嘆と栄養

メンタルヘルスのオーソモレキュラー医学は有効

上のリンク記事は広島の精神科医、藤川徳美先生がフェイスブックに投稿している記事の一つです。
私は鍼灸と手技療法をもう30年以上仕事として続けていますが、その経験から明確に言えることは、病気の原因とは決して一つではなく、その病態表現の成り立ちも一つではない、ということです。
たとえば骨折の痛みを例に上げると、
一般的には、骨が折れたから痛いのだ、という単純な発想をしがちです。
しかし現実を理学的に分析すれば実は誰にでも分かることだと思うのですが、骨折というのはエスパーや焦点部破壊型電磁兵器でもない限り、通常は外部からの加圧加力によって生ずる現象です。ゆえにその加力がいきなり骨だけに突然作用するなどということはあり得ません。
必ず皮膚→皮下組織→筋膜→筋→骨膜→骨というルートでエネルギーが伝わって骨折が生じます。
そして痛みはそれら通過ルートのすべての組織の損傷から生じているわけで、しかしその痛みの発生率については、たとえば筋膜からは何パーセント、筋からは何パーセント、などとパーツ別に疼痛量を分離し数値化することなどは不可能なのです。

以上は肉体という器質そのものの損傷から生ずる痛みの話でしたが、しかし痛みは精神状態からも発現するということも、医学ではもはや常識となっています。
それを踏まえた上で、では骨折などして、それをストレスに感じない人間がいるでしょうか。
修験者などならばともかく、それも通常はあり得ないことです。
しかも骨折そのものによるストレスに止まらず、人間には、仕事が当分の間できない、収入が減る、顧客に迷惑をかけてしまう、といった社会的ストレスも必ずと言ってよいほどにつきまといます。
そういった心理・社会的なストレスが、さらに新たなる痛みを発現し助長することもあるでしょう。
また、うつを生じる場合もあります。そして、うつもまた痛みの大きな原因となります。

と、このように、骨折の痛み一つを例に上げても、少なくともそれは「骨折の痛み」などという単純なものではないのだ、ということが理解できるかと思います。
このように、すべての病気、けが、病態とは、現実のこととして「混在性表現」でしかないのです。

しかし日本の保健医療政策では、この混在性に関しては認知されておらず、あるいは無視されており、計算に用いる保険点数は、現実を無視して単純化されています。
ゆえに骨折治癒後の残存痛に関しては外科系では「お手上げ」なのです。
また実際点数化もしにくいので、結果として、そういった患者は「邪魔」にもなってくるわけです。
本当は患者に痛みの生理的仕組みを説明し、腕の良い精神科医を紹介するなどすれば良いと思うのですが、なかなかそういった気の利いたことは(本当は医療者としての義務だと思うのですが)してはくれないようです。

さて、ここからやっと今回の本題に入るわけですが、
悲嘆とて、人間という人体に起きる自然現象でしかなく、その現象には整合性を有しています。
つまりは悲嘆も、その現実の発現状態は、常に混在表現状態にある、ということなのです。

複雑性悲嘆では様々な日常生活上の不具合が生じますが、当然にそれらには個人差があり、その個人差に対しては、分子栄養学で述べられるところの「1対100」概念で考えることが、すべての病態で妥当であろうと私は強く認識しています。

端的に言えば、どんな慰めの言葉や心理療法よりも、たった1グラムのビタミンで解決することも普通にあり得る、ということなのです。

医療とは、どのような分野であれ、常に知識を統合的に使用し得る想像力、推理力、試験的臨床実践力、患者利益に基づいたアルゴリズムの選択力等、つまりは理学力を必要とするのです。
このように、自己の持てる理学を総動員、最大限に発揮して、対象と全面対峙する医療こそが「理学的医療」である、と私は認識しています。

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by imamadearigatou | 2017-07-17 11:30 | 理学的医療

医療の3大パラダイムシフトに知識とご理解のあるドクター&医学生の皆様へ

佐渡がダメなら新潟で探すしかないかな。
患者さんに安心して紹介できる、糖質制限や分子栄養学のちゃんとした知識のあるドクター。。。
近年の医療の3大パラダイムシフトのうち、湿潤療法に関しては田舎の医療現場でも徐々に常識になりつつありますが、残る2領域である、非特異的疼痛におけるトリガーポイントブロック療法や物療、内科・精神科領域における糖質制限、ましてや内科・精神科、整形外科領域における分子栄養学の医療は皆無です。
結果的に患者の「学的タライ回し」や「病み捨て状態」が頻繁に起きています(しかしこれは妙な薬漬けにならないだけマシなのかも知れませんが)。
そしてそういった患者さんらが、現在私が勤めているような、本来であれば「対応ほぼ不可能施設」にまで流れ込んできます。
たまたま私に3大パラダイムシフトの全領域に関する知識があるので、ギリギリ対応で、まあ情報提供くらいしかできないのですが※1、友人の話では、新潟に話の分かるドクターが居る、らしいので面会のセッティングを以前からお願いしているのですが、これがなかなか実現しない。
その友人は長期環境調査で今は大自然の中。
さあどうするかな。。。
新大医学部の学生さんには、医学的思考に偏見のない、頭の良い人たちもきっといるに違いない。
そういった人たちと、どうやったら接触できるだろうか。
もちろんインターネットは武器になるが。
ヘルプなブログでも開設して、情報協力してくれそうな医大生を募集するとか。お礼は佐渡に呼んで旨いもん食べさせる、とか。。。
うん、まあなんかやってみよう。

※1 線維筋痛症に対しては鍼と手技と電子で対応しています。患者さんからは、以前のようなうずくようなひどい痛みがなくなったととても感謝されていますが※2、やはりどうしても人的手間がかかってしまい、半分以上ボランティア的にならざるを得ず、しかしこれは「健全な経営」からはどんどん離れていきますので、決して良いことではないのです。
しかし、こういった患者さんに対しても決して拒絶せず、逃げない院長先生(=社長)には、私はいつも感謝しています。というか、地元の病院の対応には、以前からがっかりさせられることが少なくありません。
言いたくはないのですが、地方は、医療の情報弱者にとっては、けっこう危険な場所であると言えます。

※2 これは治療の効果だけではなくて、これまで学的タライ回しされ続けていたので、今は「やっと自分の不可解な症状をきちんと理解してくれて受け入れてもらえる場所があった」という安堵感による痛みの軽減効果が大きいと思えます。


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by imamadearigatou | 2017-07-16 08:35 | 雑感

医療化は知性や文化の低い行為である

病院(特に内科や整形外科)に勤めているとよく分かるのですが、多くの患者さんの症状に、糖質(炭水化物や甘いもの)の摂り過ぎや、逆にタンパク質・ビタミン・ミネラル等の栄養不足、あるいは運動や睡眠の過不足が、強く深く、あるいは直接的に関与しています。

そういった生活内容の過不足により起きている症状に対して、その過不足は何ら改善しようともせず、また指摘もせず、安易に副作用のある医薬品で何とかしようとすることは、まず第一に無意味且つ危険であり、そして家計にも社会にも、不利益なことでしかないのです。
そしてこのような行為を医療化と言います。


医療化や過剰医療は、患者ではなく、この世で唯一、医師だけが起こし得る「知性や文化の低い」行為と言えます。

もちろん患者も多分に医療化を自ら医師に求めたりするので悪いのですが、しかしそれは医学的知識のないことによる不安ゆえからです。


そういった患者に対して、医師は安易に医療を行なうべきではないし、むしろ専門家として、医療の必要のないことを諭し、患者に安心を与え、生活指導こそをすべきなのです。

医療化や過剰医療は、医療施設や製薬企業を始めとする医業関連業界には利益と、そして国にはその分の税収を発生させますが、患者側と保険資源は、そのことにより損失を被るだけなのです。

しかしもちろんそういったことを是正するためには、現行の医療報酬制度そのものの改革が必須となります。
たとえば私が以前読んだ(確か米国の)ある医療組合の記事によれば、その組合立病院では、患者が早く治れば治るほどに、薬や手術などの医療費がかからなければかからないほどに、それがスタッフの医療技術の実力として評価され、昇給やボーナスに対応される、という記事で、私はこれこそが世界の医療を、現行の「金儲け」から、まともに正しくする方法論の一つだ、と思ったことを今も強く覚えています。


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by imamadearigatou | 2017-07-12 17:44 | 理学的医療

遺骨ダイヤモンド

以前フェイスブックに投稿したものを小改訂したものです。
「愛する故人の思い出を残す方法が実に21世紀らしくなってきた。
最近3Dプリンターで写真から故人や個人のフィギアを作成してくれる会社が増えつつあるな、と思っていたら、今度は遺骨の炭素から純粋なダイヤモンドにしてくれるらしい。
費用は50~100万円だが、悲嘆の最中にある、残された人たちにとっては、決して大した金額には感じられないだろう。
それに発注者が死んだ後のことを考えたら、生々しいスキンを持ったフィギアよりも、個人を特定できないダイヤモンドの方がいいとも思う。
ダイヤだったら子や孫やひ孫が、そのダイヤをアクセサリーや先祖のお守りとして役に立ててくれるかも知れないが、フィギアは、その発注者が死んでしまえば、その多くはただの生々しい人形に過ぎなくなる。
などと言いつつ、この私も、実に変なものを作ってしまったのだが※、でも私が死んだら、それを私と一緒に焼いてくれるよう、メモリアルノートには記してある。

私にとってはやはり、故人の骨や髪の毛の方が大切なのだ。
確かに骨から作ったダイヤモンドは美しいだろうが、でもそれはもう、ただの炭素に過ぎないのだから。
もちろん遺骨とて、故人が地球という外界から吸収し産生した、借り物の原子の固まりなのだが、しかし、その骨のデザインや量質の特徴は、これこそは故人のゲノムの意思により作られたものであって、この無限の宇宙空間においても、本当に、ただそれ一つしかない奇跡の産物と言えるものなのである。
だからこそ私は、私が生きている限りにおいては、妻のゲノム活動の結果としての遺骨や遺髪を大切に想うわけだ。
そしてその骨や毛髪の特徴には、ゲノムの結果としてだけではなく、当然に私たちが共に過ごしてきた日々の行動(=私たちの会話の質、私たちが選択した環境の質、私たちが選択した食事、私たちが選択した身体運動etc)の影響が、結果として、そのままこの骨や髪の毛の特徴になっているのだから。
つまり、私たちの身体そのものが、私たち二人の歴史の具現としてここに在るのだから。
だからこそ、遺骨や遺髪というものは、本当に大切なものなのである。

いずれはきっと、PCやスマホの画像ファイルから作成可能な、立体映像受像機が普及するはずだ。
私はそっちの方がいいかな。
そしてもっと未来には、義体やアンドロイドの時代がやって来るのかも知れないが、それはもう、私には関係ない(笑)。
※妻の遺骨の頸椎2番をアクリルで固め標本にした。」

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by imamadearigatou | 2017-07-12 17:07 | 雑感

このブログを開設した理由について

理学的スピリチュアリズムとは
自分の命よりも大切な存在を失った絶望や恐怖は、それを実際に経験した者でなければ決して分かりません。
非経験者はそれを想像し同情することは出来ても、分かることは出来ないし、またそれでよいのです。
愛する人の死後、当事者に襲って来る、深く広大な悲嘆を死別悲嘆と言います。
悲嘆は各種の心身症状の元にもなります。
ですが、この死別悲嘆を、自分は宗教で乗り越えられると言う人は、このブログを読む必要はまったくありません。
このブログは私のように宗教を、これまでも、これからも、一切必要としない人間の悲嘆を解決するために開設しました。

妻の死による「心的出血多量」で「心死」するかと思われた私の悲嘆の闇は、結局、私の中の科学的認識によってのみ救う(救われる)ことができたのです。
私は弁証法と反証可能性による自己否定の連続を武器としてこれまで生きてきました。
ゆえに科学もまた平等に私の否定と反証の対象であり、そのような日々の「考察戦」の中で、それでも生き残っているのは、やはり科学であり理学なのです。
より具体的には、スピリチュアリズムと呼ばれる分野の文献やネット情報を収集し、それらを科学的に観察し思考推論する過程に於いて私は救われたと言えます。

さて、犯罪捜査や裁判というものが、もしも非科学的に行われるとしたらどうでしょうか。
当然にそれは冤罪の山を築いてしまうことにもなるでしょう。
たとえば現行日本における裁判は、その「お題目」では、極めて科学的に行われなければならないことになっているのですが、ところが実際の運用に於いては、実に非科学的(不平等)と言わざるを得ないような運用行為が以前からまかり通っており、つまりはその非科学性こそが、検察勝率99.9%といった異常な数値の成立要因となっているのではないのか、と私は考えています。
また世の中に存在する差別や偏見も、その発現の発端は、人間の生物としての本能的な生理作用にあるのであろうとはいえ、直接の原因は、やはり己や集団における認識の非科学性にこそあるわけです。
犯罪捜査も事故調査も医学も科学であり、またそうであらねば、ものごとの真理や真実に近づくことすら出来ないと考えます。

スピリチュアリズムは、その初期(19~20世紀)に於いては、人間の死後存在と死後世界の可能性を、現実に起きた事象を通じ、その証拠性の検証とともに考察する物理科学者(クルックスやオリヴァー・ロッジ)らの学的行為に始まり、その後は、既成の矛盾だらけの宗教に代わる、唯一信頼出来得る人生の道標として、脱既成全宗教、脱既成全ドグマとして、新たなる認識に基づいた「自然神信仰」ともなっています。

ですが、このブログでは信仰の対象としてのスピリチュアリズムには触れず、事象可能性としてのスピリチュアリズム、つまりは理学的態度によるスピリチュアリズムの考察を行ないたいと思います。
そしてその考察の過程を通じ、たとえたった一人でも、私のように、この絶望的な悲嘆から科学的認識を以て、再び立ち上がれる人が居てくれるのであれば、この辺境の、未だ知られざる土中の微生物の如きブログを開設した目的も、十分達せられると思うのです。

理学的スピリチュアリズムに、組織や師は必要条件ではありません。
私たちに科学的な認識力があるのであれば、私たちは死別悲嘆を自力で解決することが出来るのです。
要は、これまで決して(何故か)目にすることのなかった、しかし実は19世紀から既に存在していた資料(ただし考察するに値する資料のみ)を、私たちの科学的な観察眼で考察すればよいだけだと言えるでしょう。


理学的医療とは
医療とは、どのような分野であれ、常に知識を統合的に使用し得る想像力、推理力、患者利益に基づいた試験的臨床の実践力、患者利益に基づいたアルゴリズムの選択力等、つまりは理学の力を必要とします。
このように、自己の持てる理学を総動員、最大限に発揮すると同時に、その限界をも冷徹に認識しつつ、対象と全面対峙する医療的態度こそが「理学的医療」である、と私は認識します。

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by imamadearigatou | 2017-07-12 16:44 | このブログを開設した理由について

スピリチュアリズムに組織や師は必要条件ではありません。スピリチュアリズムとは自然事象に対する個人の科学的な認識の問題です。このブログの内容が1行でも参考になれば幸いです。


by 萩原俊明
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