<   2017年 08月 ( 7 )   > この月の画像一覧

腰痛の常識は、残念ながら、未だ変わってはいません


これ、4年前のNHKクロ現「腰痛、変わる常識」ですが、
この放送から4年経った現在、
さて腰痛の常識は変わったでしょうか?
私の知人や、当院の患者さんを見る限りは、
残念ながら、まだほとんど変わってはいません。
何故でしょうか?
それは保険診療を行っている、大多数の整形外科や接骨院が、「これまでの営業スタイル」=「患者さんに説明する腰痛や坐骨神経痛の病理の内容
を、痛みの生理学に基づいた内容に、情報の更新をしていない」からです。

せめて中学・高校の生物や保健体育の時間に、
神経への圧迫と侵害受容器への圧迫の意味の違いくらいは教えて欲しい、

と思うのですが。


[PR]
by imamadearigatou | 2017-08-28 22:16 | 理学的医療

リンク集

医療関連リンク

疼痛関連

内山整形外科リンク集
[PR]
by imamadearigatou | 2017-08-27 09:42 | リンク集

去る人 残る人

数日前の8月15日という日に、この私が妻以外の女性で、本当に何の遠慮もなく、何でも議論し合えていた、たった一人の女性が現世を去りました。
1974年から3年間共に過ごした仲間です。私が20歳で彼女が25でした。
そしてこの女性との出会いがなければ、妻とも出会えてはいませんでした。

進行がんの末期だと分かった時、彼女が、
「なんかさぁ、あんたの奥さんがさ、二人ともがんで先に死んじゃうなんてさぁ、なんか悪いわよねぇ」
と言ったことをよく覚えています。

その時に仮説としての死後存在の可能性についての話をしました。
私の理学的認識では、死後存在という事象が、あろうがなかろうが、それ自体はどっちだっていいのです。
もしもないのであれば、意識と記憶が消滅し、それで永遠におしまいなだけです。
それならそれで何の問題もないからです。

しかし、問題があるとすれば、そうではなかった時なのです。
つまり死後においても、もしも自己の意識と記憶が継続していた場合に、では私たちはその時にどのように対処すればよいのか、ということなのです。

ゆえにどこかの宗教のように、自己の死後存在や霊界の存在といったものを、無条件に受け入れ信じる必要はまったくないのです。
ただ、もしも自分が死んだ後に、にもかかわらず自己の意識と記憶が続いていた場合、その事態、その事象に対して何の事前の知識も認識もなければ、大いに混乱すると思うわけです。

ゆえにスピリチュアリズムを学ぶということは、
既成の宗教のように信心するということではなくて、
万が一の「死後生存保険」として、(特に1980年代から現在までに、真面目な学術的態度にて報告され続けている各国の霊的事象を広く知り、正しく疑い、分析し、推論し)それらを幅広く認識しておきましょう、ということでよいと思うのです。

この「理学的医療/理学的スピリチュアリズム」というブログを書き始めたものの、スピリチュアリズムのことに関しては、ずっと書けないでいたのですが、それは一つには、私のスピリチュアリズムに対する考え方が、これまでの一般の善良で信仰的なスピリチュアリストの方々とは、かなり異なったシビアな認識を持つに至っているからであり(もちろん「今のところは」という意味で)、でもそのことを1から説明するのはなかなかに面倒で(同じ理由で1984年に合気道の本を書いた時にも初心者への説明はしませんでした。ゆえに)、このブログでも、スピリチュアリズムの歴史をゼロから説明する気はありません。
それらの基本的な知識に関しては、ライフログの書籍や、今後提示されるリンク先から仕入れて欲しいと思います。

彼女が、今回の死を以て永遠に消滅したのであれば、彼女自体には実際もう何の問題もありません。
あるとすれば、それは残された者たちの方にしか、あり得ないわけです。
しかし私は、私にとって彼女は、たぶん妻の次に重要で大切な女性だったと思いますので、「万が一」の事を考え、もしも(非肉体人として)意識が目覚めてしまった場合の対処としての認識を伝えておいたのです。
そしてこのことは、世間によくある、不安商法や不安宗教などとは根本的に異なるものであり、この知識(=主に1980年代から現在までの各国における霊的事象の報告記録を考察すること)を持つことは、現世の今を生きる人間にとって、何ら害はなく、むしろ生きる意味を霊的成長を求めるようになることで、今よりもよほど社会的にも安定することが考えられるわけです。

ちなみに現存する宗教の自傷テロなどというものは、死後の存在や世界を理学的に検証しようという知性がないからであり、他者からの刷り込みによる盲従を許してしまっているからだと言えるのです。

一部の科学者の意見として、死後存在や死後世界を信じることは、現在の生を軽んじることにもなりかねず、それが退廃や犯罪を引き起こしかねないと言うわけですが、しかしそれを言うのであれば、死後の世界なんてあるわけがなく、人は一度死んで消滅すれば、それですべてがおしまい、と強く思うことの方が、よほどに刹那的、快楽的、利己的になりはしないでしょうか。







[PR]
by imamadearigatou | 2017-08-22 20:03 | 理学的スピリチュアリズム

痛みの最新脳生理学

加藤先生、とても早口ですが、すごく分かり易い言葉を使ってくれていますので、逆に時間的にお得です。
言えることは、一日も早く、医大の整形外科の教科書の内容を変えるべきです。
整形外科学における手術に関連する構造的病理と、痛みの生理学は別個に学び、そしてそれぞれの知識が矛盾してはならないはずなのですが、現状はそうなっていません。
だからこそ日本中の慢性痛患者が、昔から今現在も苦しみ続けているわけです。
痛みの生理学と分子栄養学は、すべての科の医師がもれなく知っていなければならないことだと強く思います。





[PR]
by imamadearigatou | 2017-08-19 21:08 | 理学的医療

新しい理学的治療の基本(3)/症状の上流と下流を見極める

病や症状の原因には上流と下流があります。
ゆえに医療にも、上流に対するアプローチと下流に対するアプローチがあるのですが、そのことを明確に認識している医療者は極めて少ないのが現状です。
一つはその概念に無知であること。
もう一つは、知っているのに、そのことをわざと黙っている場合です。

これを私は上流医学と下流医学として分けているのですが、しかしそれは、どちらが認識レベルとして上だとか、下だとか、そういうことではありません。
あくまでも病や症状の時間的な流れを川の流れに見立てているだけのことであり、それへの対処の必要性自体は等しく変わりはないからです。どちらも現実には、とても大切だからです。

病の上流における問題の最も分かり易い事例は、質的栄養障害によるものです。
これには不足による害と、摂り過ぎによる害があります。
たとえばそれは、糖質の摂り過ぎによる害であり、ビタミンやミネラルの不足による害です。
そして原因がそうであるような時に、通常の(漢方を含む)薬物療法や物理療法や心理療法では決して解決しないのだ、ということを、当たり前のこととして理解できないようでは、この社会における医療者としての存在理由そのものが疑われるわけです。

それはまた東洋医学と称されるものにしても同じことです。
たとえば東洋医学が脚気や壊血病という栄養障害による重大な病を、社会的に解決し得た歴史は日本にも中国にもありません。
にもかかわらず、そのような「不完全な理論」に少しも疑いを持つこともなく、目の前の患者をその不完全な理論(=古代妄想)のベルトコンベアに乗せることに、むしろプライドや美学すら持っているという伝統フェチな業界人たちが少なくないのが現状です。
しかしそれは患者の立場としては極めて迷惑なことでしかなく、そんな個人のフェチや美学の犠牲なんぞには、決してなりたくないことだと思います。

ゆえに漢方オタクの内科医は、ビタミンBやCなどの栄養が不足して発症しているような患者に対して(これは栄養学に無知だと推理すらできずに見逃がします)、無意味で無効なオレサマ妄想漢方※などを処方するのではなく、1分1秒でも早く、さっさと安いビタミンBやCを処方orアドバイスすべきではないのでしょうか。

そしてそれはまた、私たち鍼灸師や手技療法家にも、まったく同じことが言えると思います。
理学療法理論やカイロ理論や陰陽五行論で、栄養障害などの「上流の問題」は決して解決できないのに、骨格診や筋診や脈診やベロ診で、何でも分かると勝手に思っている大御所も少なくないようです。

ゆえにこそ、その病態の上流性・下流性の混在を見極める認識力が、医療者には絶対に必要なのです。

川の上流でゴミが廃棄され、川が汚染されているような時、そのゴミを上流の段階で回収する、あるいは廃棄させない、あるいは廃棄物そのものが出ないように思考し実践するのが上流的解決です。
一方、上流から流れて来たゴミを、上流の問題には何ら手を付けず放置のまま、ただもう下流に溜まったゴミを1年中片づけているのが下流的解決と言えます。
商売や利権としては、もちろん下流的処置が儲かるに決まっていますね。

※誤解のないように書いておきますが、オレサマ妄想漢方というのは、漢方自体がオレサマ妄想だということではもちろんありません。この私自身、漢方薬は未確認orある程度確認済みの生化学ツールとして利用していますから(ただし理論は不採用)。
またオレサマ妄想という表現は、私がそう思っているのではなくて、実際に日々、漢方を処方されている漢方医の先生方たちが、他流派の先生方に対して(or自流派の中の変人先生に対しても)よく言われているような批判を、まとめて一言で表現しただけです。




<<付録「上下ざっくり分類」>>
・上流医学
栄養療法、衛生学、運動療法、認識教育、環境調整など。

・下流医学
救命救急、通常内科~外科(全科)、漢方、鍼灸・手技・カイロなど。



[PR]
by imamadearigatou | 2017-08-13 19:24 | 新しい理学的治療の基本

新しい理学的治療の基本(2)/長いものにこそアプローチせよ

私たち理療家の治療において、人の1日を24時間として、
一人の患者の治療時間をどれくらいに設定しているでしょうか。
おそらくは30分から1時間前後だと思います。
さらにはそれを週に何回行なえるのでしょうか。
仮に毎日とか週に3回も治療出来るのであれば何とかコントロールも可能かも知れませんが、それが可能であるのは、おそらくは保険の効く接骨院くらいであり、自由診療の鍼灸院などではほとんど、よくて週1回の治療となっていると思います。
ですが、それならそれで仕方ないではありませんか。
それを前提として知恵(=認識)を駆使するのが、私たち理療家の社会的役割なのだと思います。

さて、人の心身に影響を強く与えている要因としては、洗脳的刺激入力などを除けば、単純に、長時間(=24時間✖365日)連続して運営されている心身機能の現状能力の質ではないのか、と考えられます。
たとえばそれは、心臓や肺や腎機能などのように、24時間連続して機能している生命維持装置系の質(=スペックや耐久性)、であろうということです。

たとえば私は、「ぎっくり腰」(という比較的簡単に治せる一時的な機能症状)の治療をする時でも、また他のすべての治療時においても、「その事」を常に考えた具体的な入力をしています。
これが私の、今まであまり公開してこなかった裏の治療と言えます。
患者を本気で早く治してあげたいと思うのであれば、長いものへのアプローチは必須なのです。

[PR]
by imamadearigatou | 2017-08-12 19:46 | 新しい理学的治療の基本

新しい理学的治療の基本(1)/初めに認識ありき

治療のやり方なんか、どうだっていいのです。
熟練していようがなかろうが、見た目に美しかろうがなかろうが、
とにかく、
患者の心身の健康を一切損なうことなく、
患者が元気に治りさえすれば、それで良いのです。
出来ればそこに、治るに際して、
お互いに認識の獲得や向上があるのであれば、なおさら良いわけです。

治療とは自己の認識の具現です。
ゆえに認識が低級であれば、技術もまた低級でしかないのです。
それは見た目の速さや美麗とは無関係のものと言えます。
仮にそれが美しく見えたとしても、そんなものは単なる結果的な現象に過ぎません。
ゆえに自己の技術に美麗を求めることは、こと医療に於いては極めてナンセンスであり、無認識であると言えます。




[PR]
by imamadearigatou | 2017-08-12 17:19 | 新しい理学的治療の基本

スピリチュアリズムに組織や師は必要条件ではありません。スピリチュアリズムとは自然事象に対する個人の科学的な認識の問題です。このブログの内容が1行でも参考になれば幸いです。


by 萩原俊明
プロフィールを見る
画像一覧